場所を作ることにどんな価値があるか。


特別養護老人ホーム(特養)を設計するプロジェクトがスタートした。
一般的には老人ホームという括りの中でとらえられている。特養は老人にとって終の住処である。そこは病院では無い。
居住者が安全かつ快適に暮らすことが出来る場所である。と言えば聞こえはいい。実際には、ある期間に面倒を見てもらうための施設であり、そこには経済行為の中の需要供給関係が成り立っている。つまり無償の愛ではない。
特養の計画については大学でもよく教えられた。プライベート→パブリックに段階的なスケールで空間を作ると居住者が様々な居場所を見つけられる。全体を均質に作ってしまうと徘徊の原因になるからだめ。外部空間つまり緑を有効に取り込むことが有効である。
こんなことは、いざ設計する時になったら誰でも調べるし、どんな本にも同じ様なことが書いてある。本当の「知」とはそれがなぜ、どんな風に必要なのかを掘り下げる行為だろう。
と、教育に関して言っても仕方ない。とにかく、そういったことはある程度調べたつもりでいる。


これから、設計するに際して心掛けることはさっきの「知」をどれだけ掘り下げて空間・場所に活かすことが出来るか、だと思う。
つまりは、本当のハッピーは何かってことだろう。


設計の実情としては、コスト、敷地の大きさ、法規、お施主さんの要望など、たくさんのハードルを乗り越えないといけない。
居住空間を実施設計までやることが初めてであることも乗り越えないといけない。
希望を持っているのは心に訴えかける施設であること。もちろん、機能性は求められる。しかし、居住施設にとっての機能性は単なる使いやすさではない所にもあるはずである。それは大きなモチベーションになる。だからこそ難しいんだけれど、テンション上げてやりたい。
医療行為には病気を治すことが出来るという明確な社会貢献がある。介護行為にも同様なことが言える。じゃあその舞台となる建築空間には何が出来るのか。とてもプレッシャーを感じる。
上司が自然に発した言葉「私は住宅と思っているから」、当たり前のことだけど、しっかりと意識されているように思えて、一緒に頑張りたくなった。


色々きれいごと言っても空間的に面白いとか外観がかっこいいってことは絶対に考えるんだけれど。


漫画スラムダンクの中で魚住が赤木に言った言葉を思い出す。
泥にまみれろよ。