村野藤吾と尼崎

友人の結婚式が午後からだった土曜日、
前日も遅くまで、仕事してたけど、何とか見たかったので眠い目をこすりながら。

これ


無料の小さな展示だし、切れかけエネルギーでも何とかなるだろう。。


展示は尼崎市庁舎と大庄公民館(元大庄村役場)の2つだけ。多分京都工芸繊維大学で過去に展示されたものが大半なのだと思う。見てないと思う。行ったかもしれないけど、覚えてないという。恥ずかしながら。


役場といえば木造で低層。というような時代、これらのデザインは街の中で目立ち過ぎてしまうくらい、際立ったものだったんだと思う。それは街を作ることと言い替えてもいいと思う、ある意味。村野・森事務所はそれに取り組んでいた。何というか。そうだったんだよな。うん。


設計段階でのプランの変更プロセスが展示してあり、面白い。特に大庄公民館はシンプルなボリュームから(どういう理由かわからないけれど)機能的なシンプルさを踏襲しながら、プランが複雑になっていっていた。
複雑というのが正しくないのかも、機能的には中廊下であることに変わりはないんだけれど、ボリュームに凹凸が生まれていっていた。その結果立面は4面全て多彩。窓のデザインとボリュームのデザインが共存する。もちろん、窓のデザインには秀逸なタイル割りという組み合わせ。うん。
ボリュームの組み合わせ方の勉強になる。パラペットから出来てしまう壁面と窓のバランスを窓廻りのデザインで処理したりとか。


ここにちょっと紹介のってます。


尼崎市庁舎の当初案で高層棟が90°回転してたなんて知らなかった。(恥ずかしながら)これはこれで面白いんじゃないかと思ったり、でも室環境は悪いのかな。
詳細図を必至に見ようとするけど、わからない部分が多い。ここで雨受けてるみたいやけど、これどこに流れてるんや?とか。


小さな展示やから何とかなるとか、なめてた。やっぱエネルギー要りました。
一般図の検討プロセスを読み取ろうとするのは脳みそがついていったけど、詳細図になると、もう目の前がグルグルしそう。でも、何とか頑張った。のか!?


勉強になりました。もっと勉強出来るようになるために、がんばろ。

クロアチア


あまり行きそうに無い所をテーマに決めたんだったっけな。ほとんどノリだけで決めた新婚旅行。とりあえずの航空券を握ってクロアチアへ。


ザグレブ
公園が豊かだなぁと感じながら、メーデーの雰囲気にのせられて路上ビールで楽しんでました。
コンパクトな街。主要交通のほとんどはトラムとバス。これが新鮮だった。バスの運転手と乗客のコミュニケーションを見てなんとなく納得。
市場で食ったリンゴうまし。



プリトヴィッツェ国立湖畔公園
旅の行程はほとんど嫁さんが決めてくれた。いいチョイス、日本と同じトレッキング支度を持って。
空と滝がきれい。ハイキングコースの案内板も過剰ではなく、いい。
帰りのバスが全く来なかったので、二人で焦ってたけど。



ドブロブニク
クロアチアに来たかった一番の理由はこの街。なんとなくなんだけど。
一番驚いたのは観光と暮らしの共存。やはり観光地、城壁で囲まれた街の主要な通りは土産物やカフェ・レストランが並んでいるんだけど、路地に入って街の高台に上がっていくと、洗濯物が干してある。家で親と子どもと遊んでいる所が覗ける。
観光地と居住地は分けられるか、不用意に一体になっているというイメージを持ってたので、なんとなく境界がある状況にいいなと。
密度の高い旧市街と、ゆったりと山側に建つ新しい建物の違いも面白い。共通コードは屋根ってことかな。




一人旅が基本的には好きなんだけど、道連れがいるのもいいもんだ。

友情と強さ


友人に感動させられることと、むかっとしたこと。それが重なった。
人のために何かをするってことは思っている以上にすごい。それが出来る人は人のためを思う強さと心のゆとりがあると思う。
心にゆとりがないと人への心使いを忘れてしまう。ふとした時に出てしまうそんな態度ってよくないと思う。悪い事はよく覚えているのが人ってものだと思うから。
自分への戒めも含めて、余裕と心使いをなくしてはだめ。
逆に、人を感動させたり、いい気持ちにさせることはハードルが高い。時には自己犠牲を伴うこともあると思う。でも、そういった行動を人はちゃんと見てる。(少なくとも傍観者の僕が感動させられた出来事があった)
自分への忠告。人を喜ばせるためには、覚悟を持って頑張らないとだめ。でも、無理に頑張ってもだめ。
自然体で人と接することが出来るのは強い人間だけが出来ること。いや、自然体なんか本当にあるのかな?と思ってる自分もいるんだけれど。

脱何か


あれから1年という日ですね。
世界的にすごく大きなあの出来事もはっきりいって個人的にそこまで大きなことではなかったです。いや、こんなこと言ったらだめだと思うんですが、実際はそうです。はい。
心では行かなければと思いながらも、現地に足を踏み入れていないのが事実です。
あの時から変わっているのは自分というよりもむしろ周り。というような気がします。とても大きな環境の変化から、自分の置かれている状況を見直すというのは人間にとって当然のことなんだと思います。
脱成長といった話をよく耳にするようになった気がします。その提言には物質的な価値重視から心理的価値重視へ。という面があるのではないでしょうか。
もう二度とあんなことが起こってはいけない。自然災害を止めることは人間には不可能。軽卒ですが、災害が起こっても平気な価値観を持たないといけないのではないでしょうか。壊れてしまうかもしれない物質に執着したら心が傷つく。大切なものは心の中にだけしかない。そんな状態であれば、心に傷はつかないのかもしれません。でも体から物質を切り離しても人という大切なものが残ってしまう。人に執着しないと人でなくなってしまうと思います。
物質に執着しない価値観を生み出していくことってのが大切なことのように思います。じゃあ物質を設計している自分は何者なんだ!?という問いも含めて。

Sunny 2巻

「Sunny」著者:松本大洋
2巻読みました。

作者がつくり出す世界の中で時間を止めたり動いたりします。そう感じさせるのがすごくうまい。

1つの話の中で個人にスポットを当てることで、集団の中の個人のありようがすごくリアルに感じられる。そういった描き方もマンガの特徴なのかなと思える。

絵も面白いし、都市も田舎のまちも魅力的に普通に描かれてる感じがします。
やっぱ漫画家の空間感はすげぇ。



Sunny 2 (IKKI COMIX)

チャンス


今挑戦しているプロジェクトが本当にうまくいってほしい。
まちにとって建築って何なのか。何が出来るのか。
それを考えるチャンスになりそうな気がしている。しかも単純におもしろそう。
渋みを含んだ計画になりそうな気がします。
マジでしがみつきたいなー。
正直神頼みなんて信じてないけど、神頼みしたい気分です。


PJへの取り組み方が変わって来ている気がするなぁ。
このチャンス逃したくないっす。