脱何か


あれから1年という日ですね。
世界的にすごく大きなあの出来事もはっきりいって個人的にそこまで大きなことではなかったです。いや、こんなこと言ったらだめだと思うんですが、実際はそうです。はい。
心では行かなければと思いながらも、現地に足を踏み入れていないのが事実です。
あの時から変わっているのは自分というよりもむしろ周り。というような気がします。とても大きな環境の変化から、自分の置かれている状況を見直すというのは人間にとって当然のことなんだと思います。
脱成長といった話をよく耳にするようになった気がします。その提言には物質的な価値重視から心理的価値重視へ。という面があるのではないでしょうか。
もう二度とあんなことが起こってはいけない。自然災害を止めることは人間には不可能。軽卒ですが、災害が起こっても平気な価値観を持たないといけないのではないでしょうか。壊れてしまうかもしれない物質に執着したら心が傷つく。大切なものは心の中にだけしかない。そんな状態であれば、心に傷はつかないのかもしれません。でも体から物質を切り離しても人という大切なものが残ってしまう。人に執着しないと人でなくなってしまうと思います。
物質に執着しない価値観を生み出していくことってのが大切なことのように思います。じゃあ物質を設計している自分は何者なんだ!?という問いも含めて。