つくることー喜び


建築展をたて続けに見たからだと思いますが、つくることの喜びについて。
震災以後、建てること自体が問われているという話をよく耳にします。建築家不要論ではないけれど、建築家の社会的意義を明示し切れないでいる状況が長く続く中で、元々そういう動きみたいなのものはあったんじゃないでしょうか。


建築をつくることを考えたり、どこかの誰かのために建物が設計されていることに触れると僕は気持ちが高揚します。建築家であることから離れてもそう思えるかどうかはわからないけれど、自分の中のかなり根源的な感覚であることは間違いないと思っています。


空間の喜びとか(もしかしたら悲しみ)をシンプルに感受し、表現し、実現する。
それが建築家あるいは、建物をつくる方向を示す人が持っている能力の一つであることは間違いないと思う。でもそれが伝わりきってないという気がしている。そういう力みたいなものはいかがわしいものかもしれないけれど、それを乗り越えないといけない。つくることの喜びを突き詰めることと伝えることで近づけるといい。