アーキフォーラムでの思考


アーキフォーラム ゲストは中山英之さん

冒頭、ホワイトボードを使い、自分がどのように設計したいかを意識表示された。まず4本の線でL字を2つ書き、そこに様々なものが加えられていく。そこに示されているのは、ものの輪郭に対する見方であるような気がした。4本の線からは空間は現われてこないが、そこにラグや家具、床の厚みを描き加えることで空間が立ち現われてくる。
その場所ではなく、一歩下がった視点からその場所を見ることで様々なことが見える可能性があることを示しているように思えた。「クライアントと同じ方向で同じものを見る」ために少し引いた立ち位置からものを見るのであり、その方法がスケッチなのだということだろうか。
建築家はそこになぜ建てるのかということを説明しなければならない。中山さんのスケッチは空間が出来たときの使い方や見え方を説明している。それはクライアントでも建築家でもなく誰の視点場でもない架空の、(過剰表現を恐れずに言うと)神の視点場のようなもので描かれている。しかもズームインしたり、ズームアウトしたりする。とても繊細に描かれているからこそクライアントとそこに現れるであろう情景を共有できるのではないだろうか。まるで建築の取扱説明書のようである。
しかし、クライアントへのプレゼンにはあまりスケッチを見せないということもおっしゃっていた。では、スケッチは自分との確認作業のツールなのだろうか。


4つのプロジェクトを通して地面をデザインすることが示された。
地面に目がいくのは受験のためにスケッチをしていたことも影響しているという。なるほど地面というのは空間を認知するうちの大部分を担っている。そこに注目することで建築の領域は拡大されるような気がする。スライドの冒頭で見せられたガソリンスタンドの跡地活用のスケッチは地面をこんな風に使おう、というおおらかながらも、雨によってできる地面の表情にも注目されてるような繊細さが見受けられた。


地面とスケッチ。この2つからイメージすることはものの「輪郭」ということ。スケッチは将来出来るであろう建築の物理的な輪郭だけでなく、使い方や情景といった輪郭まで意識しようとしている。地面に目を向けることはその上で起こる建築行為や人間の行為の輪郭を繊細にデザインしようとしている現われなのではないだろうか。建築を作ることは目に見えるものをつくることであり、そこから人の意識や行動をつくるものであるという当たり前のことについて考えた。