15年


阪神・淡路大震災。あれからもう15年、いやまだ15年。どっちも思う。
普段はあの時について考えないんだけれど、今日はやはり特別な日。15年前の同じ時間に意味も考えず黙祷していた。
あの日の経験は僕にとって何だろうと考えてみる。それは「花火」のようなものではないか。(というよりも「ポンっ」という音と言った方が近い気がする)「花火」と言ってしまうと明るいもののように思えて不謹慎だと言われそうだけれど、なぜ「花火」かというと、何か大きな出来事なんだけれど、時が過ぎると意識の中から薄れていきそうだから。でもこの季節になると思い出すし、僕の中に確かな経験として存在している気がする。
「あの経験を忘れてはいけない、伝えなければいけない」とよく聞くが、ただ伝えればいいのだろうか。本当にあの経験を伝えられるように、経験した者がそれをしっかりと受け入れること、受け入れられるような状況を周囲がつくることの方が大切なのではないだろうか。
あの時に対して、人々は色んなことを思う。僕は、もう無くなってしまったあの時寝ていた家のことを今しっかりと思い出し、噛みしめておきたい。