パリについて

フランスからの留学生がDVDを見せてくれました。プログラムは二つ。19世紀のオスマン都市計画と1973年に作られた環状高速道路ペリフェリックについて。
パリには学部の時の孤独旅である程度の時間滞在していたので、そのときの記憶を掘り起こしながら見ていた。知識が新しく入るとまた行きたいという気持ちが強くなる。
音声フランス語の英語字幕に休憩はさみながらの2時間集中は脳みそにこたえた。本当にザクッとしか理解できないし、フィルムの中のジョークにもついていけない。英語力は大切である。
オスマンのパリ改造計画にはそれほど詳しくない。ビデオに出てきたトピックを上げると、セットバック、建物高さ規制、ビューライン、パブリックスペース整備、などがあげられるのだろう。このフィルムのあとに留学生が話してくれたパリの格差構造が勉強になった。18世紀以前のパリにおいて富裕層と貧困層(いわゆる使用人のような人たちか)が同じアパートメントに住みながらその生活は完全に分断されていて、住宅の裏の顔が存在した。またフィルムの中で18世紀の居住はflexibleであると言われており、それについて留学生に聞いてみると特徴ある住居選択を教えてくれた。ファサードだけ建てている状態でまるで垂直な土地を選ぶようにして居住エリアを選択し、その奥の部分を住宅として作るのだという。
ペリフェリックのフィルムの中で批評的に述べられているのは「郊外化」であった。後から話を聞いてわかったのだが、ペリフェリックの整備の経緯としてパリ北東部のスラムの解消もあったという。環状道路が整備され、貧困層はそれに沿った環境的に劣悪な(けれども安価な)居住を与えられた。
ビデオの後に留学生と郊外について話していて、日本の場合はおおまかに郊外は居住エリアであり市街地は労働エリアであるが、パリは違うのだなと思った。パリに住むことは誇りあることであり、郊外は必ずしも居住として使われているわけではないようだ。日本では郊外化のために利用密度の1日を通しても1週間を通しても時間格差が大きい。では、パリではどうなのか。ここのところをまた聞いてみたいなと思った。
※すべて英語で聞いたことなので大きな誤解があるかもしれない。