思考ーLRAJ in DESIGNEAST01

DESIGN EAST01特別バージョンのLIVE ROUND ABOUT JOURNAL。ゲストは石上純也氏、タイトルは「ARCHITECT ARTIST」togetter


石上氏の近作のプレゼから討議という流れであったが、氏の近作の圧倒的なパワーというか密度によって、会場は批評的な空気をなかなか持ち得ないという感じがした。しかし、藤村氏によって、1960年代の都市建築家が相手にしていた「都市」と石上氏が扱おうとしている「気象」の類似性が指摘され、討議の中で石上氏の口から「現実に立ち向かおうとするときに建築が良くなる」といった発言が引き出されたことが面白かった。
石上氏から近作のプレゼとともにいくつかのテーマが提示された。要点のみで不足していて申し訳ないが、「プロポーション」「スケール」「風景のかたち」「透明なこと」「森」「squareness」というものであった。私はこれを聞いて、クラシックだと思った。それは石上氏の設計に対するスタンスやモチベーションがである。石上氏の「コツコツ建築を作る」という発言も気になりながら、生意気にもどのキーワードも 聞いたことがある。 と思ったのである。そうでいて、作られる空間が新しさ、新しい感覚を備えていることがとても不思議であった。石上氏の感覚は常人離れしているというか。違う世界を見ているのではないか。とさえ思った。(この辺りが会場が圧倒された理由ではないだろうか。)
さらに感じたことは身体感覚に訴えかけるという空間のテーマについてである。これもある意味で新しいとは言えないテーマであると思ったのだが、石上氏によって設計された抽象性が身体感覚に訴えるということが自分の中でスッと理解できた気がした。ここで、こんなことを考えた。
身体感覚に訴えるー抽象的な空間(要素が少ない)
機能を満たす。プログラム満足重視ー具体的な空間(要素が多い)
もちろん、下の段はモダニズムが頭の中にあり、上段の抽象性に構造的挑戦と発展が備えられていることは言うまでもない。
空間の抽象性を追い求めることがすなわち真っ直ぐに建築空間について考察することとなり、抽象性という性質によって人々の感覚に訴える(感覚に近い?)空間によってモダニズムを乗り越えようとしているのでは。と思った。
では、身体感覚に訴えるということが建築空間の新しい道なのか、それによって人、社会のためになる建築というのは実現出来るのか。それが、自分の中でモヤモヤしているところである。