思考ーグラントワ

前々から見てみたかった、体験してみたかった建築。
予想とは少し違っていた種類の衝撃を味わいました。


まだまだこんな建築が建てられる(かもしれない)し、いい空間を心地よく感じ、上手に使うリテラシーをたくさんの人が持ってるんじゃないかと思えた。


違った種類の衝撃というのは思っていたよりも小さかったということ。ギャラリーとホールが複合されている施設だから、もちろん建築面積や建物高さという数字は大きいのだけれど、建物を周囲から見て、近づいて、中に入ってもあまり大きさを感じなかった。それはボリュームの操作によるものなのかもしれないし、外壁の素材のせいなのかもしれないし、中庭のせいなのかもしれない。それをはっきりと言葉にすることは今は出来ないけれど、そう感じた。


この建物の中心といえる文字通りの中庭。そこには水盤があって、それが見れる。。と思っていたら、中庭には水盤はなく何やら物がずらっと並んでいた。「親子キャンドナイト」らしい。夜に向けて準備がなされていた。 まちに根ざしている。 そういった使われ方をされていることで僕にはそう思えた。それだけではなく。何となく入って来て、廊下でくつろぐおじさん集団や、ギャラリーのブックコーナーで本を読むおばさんがいる。街に入ると、「この建物はでかすぎるんじゃないか」と思うのだけど、なんてことはない、気持ちよく使える場所があれば人々は訪れる。


建築好きにはたまらない、様々な工夫があちこちにある。そんなことは使っている人には関係ないのかもしれない。でも、設計者や施工者の努力を何となく感じ取られて、この建物はこんなにも活き活きと使われると思い込んでしまえば、建築は何もしていないんだけれども、何かをしていると思える。