「集団のクリエイティビティ」

JIA主催のdot architectsの講演会へタイトルは「集団のクリエイティビティ」


過去の活動を設計、施工、アートプロジェクトに分類して説明。
バー、店舗、舞台装置など、その活動が多岐にわたることが伝わってくる。
施工の意味として「道具」というキーワードが提示された。
産業主義的道具=都市の・人の均一化・平均化につながるもの。
⇔各人の自由の範囲を拡大する道具をいう抽象的な対比が示される。
アートプロジェクトに関わる意味として、
多様性、多種性、多方向性、水平性、共有性というキーワードが示される。集団という言葉とつながり始める。


ここで建築がもつ、ヒトとモノの2種の暴力に触れる。
建築家には決定権がある。建築が完成すると、その場所に何年もあり続ける。
ここで、冬の洋食といえば、カキフライとクリームコロッケという2択がテレビ番組によって与えられていることを一つの例に均一化・平準化が再び話題に。
―ここで示された(都市における?)均一化は先のような建築のもつ権力なるがゆえの結果であるということか。
後に示されるマイノリティの連携が建築家のもつ権力を読み替えるように示しているのか。(この辺りの話がうまく頭の中に入って来てないな。)


その均一化を抜け出すための多様性のための方法として「マイノリティの連携」を提示。
ミシェル・ゴンドリーの方法を例に、階層のあるピラミッド構造のような方法ではないものの可能性を語る。
「作るのは集団であるのに、評価は個人」であることへの問題意識を提示。
―共感。作ったと思われる人よりも、作られ方を評価・批評しなくてはならないのではないか。


ここからプロジェクトが説明される
No.00の説明では、震災の経験をもとに差異を省かず取り込むこと、部分の集合を周囲も含めた環境に適合させることを提示。
Latest No.00では、全体を考えず、集合の一部として模型を足すという行為に他者(建築分野の人間に限らない)をも巻き込む連携を提示。
さらにINCLUSIVE ARCHITECTURE(個人的に初顔合わせ)
障害者を対象にユーザーが簡単に使いやすいように道具をデブロップメントしていくようにフィードバックをしながらものを作るプロジェクトについて説明。
―このプロジェクトについてもっと話を聞きたかった。わかっていないことが多いと思うが、ユーザーによって発展していくもの、そのフィードバックの方法論に興味がわいた。


次に「イベント」について。
まず、サーファーの乗っかる波であるという抽象的な提示。
―とても納得のいく感覚じゃないかなと。
DESIGN EASTの説明。続いて 大阪 について。
情報の受け手になっている。大阪で発表する異議が薄れていることを指摘。東京で名前が出てから関西で名前を聞くようになるというまわりくどい構図について。
「デザインをする状況をデザインする」
ARCHITECTURE AFTER 1995説明も。
―AA1995で大きなキーワードがリテラシーだと個人的に思っているのだが、イベントにおいて一般の人のそれを高めようとする意図が感じられた。超並列模型に参加せずとも、イベントに足を運ばなくともリテラシーを高められる方法はあるか!?


質疑応答では、
「超並列模型のもつ公共性には非参加者の非公共性という溝も生むのでは」という質問が。
―納得する部分もあるが、それは模型制作に限っての話ではないかという気もする。参加する意思に対してオープンな方法論の模索であると思う。しかし、参加・非参加をも生まない、建築への参加の方法とはないものか。あれっ。矛盾してるな。
「バナキュラーなものを作る意図があるのでは?」という質問も。
―Latest No.00を見ると、「建築家なしの建築」を個人的に思い浮かべる。ルドルフスキーはバナキュラーな建築とともにそれを生み出す人のリテラシーにも目を向けた人なのではと思えてくる。そういった意味でドットのみなさんの活動は土着的な建築を生み出すようなリテラシーに巻き込むことが意図されていると思う。


終えてから、家斉さんに「超並列模型とイベント」の間にあるものはないかと問うてみた。はっきりとした答えはもらえなかった(僕が聞き逃した!?)が建築家がいつでもあらゆる人と対話する態度を持つことだと言っていただけた。
大東さんと長めに話すチャンスがあり、多くのキーワードをもらった。「時間の話」「できることからコツコツと」「建築家不要論では決して無いこと」「経験値の差を頭に置くこと」得たものの多い時間だった。また機会があれば事務所に遊びに行きたい。


講演会、議論を通して、今の時代に生きる建築家は答えを出すという状況ではなく、答えに導く状況にあるということができるのではないかと思う。質疑応答での単なる年の差に片付けてしまうのではなく、過去の動きを背景を見て、今の状況を見据えて方法を示す必要があると感じた。今日の経験から作ることでもなく、イベントでもなく日常の延長からあらゆる人を建築に巻き込むことができないかと抽象的だが自分に宿題を与えてみる。