2000年以後を考える

一連のトークイベントの第2回。
前日、前々日のワークショップの話から始まる。このワークショップに参加はしていないのだが、会場にズラッと並んだ模型を見てエネルギーをひしひしと感じる。これに参加した学生は程度の差こそあれ世代の中に自分の活動を位置づけることができただろう。並んだ模型を眺めていて思ったことは、勾配屋根と陸屋根が半々ぐらいかなーということ。屋根がフラットなものは“住宅である”というメッセージを形態が発していなくて、それはインテリアにゆだねれているのかなと想像する。勾配屋根を持つものも、おおまかに形態だけをみるといわゆるハウスメーカーの住宅に見えなくもない。ではこの世代において住宅とはインテリアに従事したものなのか。という問いが自分の中に浮かぶ。
さて、ここから五十嵐太郎さん、TEAM ROUND ABOUT、dot architects、SPACESPACE、木村松本、垣内さんが登場しての討議。まず、4組によるプレゼから。プレゼ後に藤村龍至さんがそれぞれにコピーをつけていた。
dot architects 「超並列」
震災での人々のコミュニケーション、そのルールを引き合いに多様なものをいかに設計に盛り込むかという意志を表明。図面・詳細・模型という仕事を3人で分担し、それぞれの意思決定がそれぞれを行き来するようなー図面→模型、模型→図面のようにー方法による住宅をプレゼ。さらに、学生や建築の専門以外の人がある自動生成ルールにのっとりその住宅に空間を足していくというプロジェクトを提示。
3人で役割分担をするという方法論において、誰がどの役割を担うかということの重要性を感じた。6日の議論にもあったgoogle的社会構造において個々人の性質や個性をいかにルールとして取り込むことができるかということ、その可能性を建築が持ちうるということも含めて考えられないか。
SPACESPACE 「ヒューマンスケープ」
熊本駅西口コンペを題材に人の振る舞いや行動を基にいかにデザインに取り込み既存の街にポジティブな風景を生むかということについて。
提示された空間が手法が控えめで美しいことで説得力があり、現代的であると感じる。
村松本 「編集的な経験」
パートナー二人で思考を共有し続けること。敷地にとどまらずいたるところで出会う経験の集結、それらが関係しあうように、他人の経験が自分のものであるかのように経験されることということを提示。
経験についてのその意志がいかに建築にー住宅にー活かされているのかをもっと知りたかった気がする。
垣内光司さん 「小さいこと/つながり(メタ超並列)」
状況の変化、身体性、つながること
という3つのキーワードを提示。自らのコンセプト、施主の要望、法規と様々な外的要素に対応していく設計を提示。さらに設計した建築ーそれは展示する建築ーが小さいことによる身体性を、展示する模型を覗き込んでみることで他者の展示との差異を顕在化するとともにつながってみせる。
ユーモアのあるプレゼが設計者の人物像を表しているなと感じた。


ここから五十嵐さんと藤村さんが2000年にギャラ間で開催された「空間から状況へ」展と今回の「ARCHITECTURE AFTER 1995」展について討議。
藤村氏が「空間から状況へ」展の冊子における「「状況」と「適用」」という五十嵐氏の論文において、
・1960年代=シチュアショニスト(状況主義者)との比較
・ユニット派
・わかりやすく/非コンピュータ的で/テーマに従順な展示
という3つの視点を提示。
五十嵐氏は今回の展示、4組のプレゼを聞き「同時に存在するものの関係性」という2つの展覧会における共通点を提示し、それが2000年よりも徹底されていると指摘。さらに、2000年はギャラリー間の15周年記念展という用意された場所があったが、今回は実行者が主体的に動いて作り上げたものだという、展覧会が行われた状況の違いについても述べる。
この状況の違いがとても興味深いと感じた。ギャラ間の15周年記念展という場所に呼ばれた五十嵐さんはすでにある状況に対してテーマを設定し、建築の展示を見て社会状況との関係を記述したが、今回の展示の場合は1995年以後というTEAM ROUND ABOUTが提唱し続けている社会状況への反応を建築で記述するような、建築→社会、社会→建築という違いがあるのではないかと感じた。質問ではその社会状況の感じ方の違いのようなものを聞きたかった。
その質問に対してお二人は、「歴史的文脈の中にいかに位置づけ、展覧会と状況に対して建築がどう変化するかを見ていた。」と五十嵐氏「2000年は1995年以後の変化が見えていなかったのでは、その変化が見えてくる中で建築は変わってきているし、変化がはっきりしてきたこれから何ができるかを考えなければ」というお答えをいただく。
議論の中でも2つの展覧会を通じて世代の共通性と相違点が論じられた、それは社会状況の変化に対して建築家が少しずつ方法を変えながらそれに対峙しようとしていることを示しているのではないだろうか。そのような姿勢の継承に建築の未来を想像したい。


質疑の時間に鈴木謙介さんが登場。ゼロ年代以降は分断のあとの接続ーつながらなくてもmixiや携帯メールでつながるーであり、ゼロとイチをつなぐものとしてプロセスが提示されているのではないかと述べる。
最後に、五十嵐氏と藤村氏から今回の展覧会について、
「原理」と「現象」(五十嵐氏)
「設計」と「運動」(藤村氏)
というキーワードがあげられた。
最後に藤村氏から発せられた「10年後はこのようなイベントをする機会も場所ももっと減っているはず、だからこそ自分でメディア的状況を発信していかなければならない」という言葉は建築の設計にも当てはまると思う。状況に主体的に関わっていかなければ建築家が介入できる部分はどんどんと少なくなっていくのかもしれない。ーこれは想像でしかないがーバブル期においては建築はー半ば自動的にードンドンと動いていたし、そんな中で既存の流れをひっくり返すような流れも起きていたのかもしれない。しかし、現代の難しい状況において流れの方向性を少しずつ変えていくような動向がふたつの展覧会に見られるというのは示唆的であると感じた。