1995年以後を考える

大阪工業技術専門学校で「1995年以後を考える」を聞く。
パネリストは鈴木謙介さんと藤村龍至さん。
1995年を契機に変化してきている社会はいかなるもので、いかなるものが必要なのかについて、個人的な感想を述べる、とても面白かったし刺激的であった。現代の社会状況をシンプルに表されているし、それに対していかに対峙していくべきかについて建設的な議論がなされていると思った。しかし、こう思ったのは私がお二人の考えに基本的に賛同しているからで、信者のように信じきってしまうことの危うさは自覚しておかないといけないし、お二人の議論を超えるような考えを自分の中に醸成しないといけないと、充実の時間をすごしたからこそ自らに戒めたい。


議論はまずお二人の自己紹介兼それぞれの1995年以後についてのプレゼから始まる。
まず、藤村氏
1945-1970、1970-1995、1995-2010という3つの時代区分を提示し、1995年を時代の転換期と提示。建築界において1995年に起きた「せんだいメディアテーク」と「横浜客船ターミナル」の2つのコンペを上げ、このときに空間と情報の関係について、アルゴリズムについての議論が起こったが、その議論の声は小さくなってきており、15年前に議論を戻すことの必要性を提起する。建築家は「パブリックーコモンープライベート」を論じて満たされている場合ではなく。建築が備える表層ー深層について議論すべきであるとする。それに基づき、「1995年以後をどう捉えるか?」「そのとき、建築家の役割は何か?」「そのとき建築家の職能はどうかわるのか?」という問いを立てる。藤村氏の話は何度か聞いていて、今回は「批判的工学主義」という言葉が出てこなかったが1995年以後というキーワードを基にした問題提起がメインであった、個人的にモヤモヤするのは、藤村氏が建築を論じる時に必要であると述べている。情報ー空間の関係と表層ー深層の関係は何か通ずるところはあるのだろうか。二つの関係を自分の中で咀嚼できていないために、見えてこないのがモヤモヤする由縁であろう。
そして、鈴木氏
冒頭、「考えるべきは“どうあるか”ではなく“どうあるべきか”」であると述べ、1995年以後という時代の変化を「社会批評の変化」と「社会の変化」というーこれらは接続しているのだがー2つの文脈で述べる。
社会批評の変化は、オーケストラ型の社会からバンド型の社会への変化であり、命令ー服従から協調の変化であるとする。前者は理想を持ち、話し合いや対話によって目標を達成しようとする社会であり、後者は情報のつながりや組み合わせによって、個性を尊重したうえでの強調であり、「“終わりなき日常”の肯定」であるとする。
社会の変化は空間の意味が変わってきたということ。それはー特定の人のためのー都市とー消費空間としてのー郊外への二極化である。1995年以後、郊外を地元と思う世代が現れ、郊外は住居にとどまらずーテーマパーク化されたアウトレットモールのようにー消費空間化され、経済状況によって郊外型生活が不可能な雇用弱者が都市空間を脅かす存在かのようになってしまっていることを指摘。こうした二極化によって、どうつくるかだけを考えて作っていては気付かぬうちに雇用弱者を排除しようとするような場所を作ってしまう危険性ーバンド型社会の抱える矛盾ーを孕んでおり、何をつくらされていて、どうつくるべきなのかを考えるべきであると問題提起。
私は、1984年生まれで幼少期は兵庫県の淡路島という田舎ですごし、18歳から大阪に19歳からは千里ニュータウンの近郊に住んでいる。郊外の消費空間化などの実感はあるのだが、元を知らないので変化の実感はない。とは言っても、実家の電話には母親が手作りのカバーをかけていた気がする。(これはレクチャーを聞いた人しかわからない内容)
鈴木氏の話を聞いて、郊外の消費空間化はもとの郊外だけでなく、もとは地方であった地域にまで拡大されつつあるのではないかと思う。巨大家電量販店や巨大ショッピングセンターの流入などによって地方の個性はいつの間にか飲み込まれてしまうのではないか。それをいかに乗り越えるか、状況を前提としてノスタルジーではない解決策を考えないといけない。


ここからは、議論。方向性は「郊外をどうするか」といったところだろうか。
鈴木氏は「郊外が悪いとはいえない、どう変えていくかだろう」という意見を述べ、藤村氏は「引き受けるできものである。対処法として、3つの立場がある」とした。3つの立場とは、肯定、抗う、濃密に改変するというー簡単に言いすぎかもしれないがー3つの立場である。藤村氏が目論む、郊外を濃密にするということについて可能性があるものとして、「祝祭」があげられる。現在、郊外においても祝祭は存在するが、その多くはフェイクである。しかし、有効なフェイクを作りコミュニケーションを量産するコアになることができないかと藤村氏は述べる。さらに、バンド的な社会において、その課程がオーケストラと言うこともできる建築行為が郊外を地元化する濃密性を与えられないかと述べる。コミュニケーションのコアとなりそうな祝祭のように建築行為がなりえないか、何かをつくるときの盛り上がりのようなものがそのきっかけとなると提起する。そして、重要なのは盛り上がりを作るためのルールであり、つくることの濃密性のためにはー明日明後日と行われるWSにしても郊外における建築行為にしてもー適切なルールの設定が必要であると述べられる。
さらに議論は「ルールの設定」に移行していく。
ここで、現代社会を描写するために2項対立が掲げられる。それはyahooとgoogle検索エンジンであり、前者は目標に向かうプロセスにーリポジトリによってー抵抗することで作られる構造で、後者は必ずしも目標に向けられるわけではない行為があるアルゴリズム(ルール)によって目標に収束されるという構造で、前者は並列であり後者は直列であるとされ、後者が現代社会構造であり、対話型でないー協調型ー社会の可能性であるとする。藤村氏はルールをつくるのは建築家であるとし、鈴木氏がルールを設定してもそれを実行させるー東のエデンのタキザワのようなー人物が必要なのではと返すと、「ルールを決めるのを誰がやるか問題」として、ルールをつくるやつを決めるルールをつくるという行為が起こる可能性を現代のgoogle的社会構造のの可能性であるというー具体的で興味深いー議論が起こった。そして最後の締めとして、このような状況にある現代においてはルールを決めているやつを選べていないことに警戒心を持つべきであるとした。
最後に藤村氏が「自分達の今いる環境で問いをたてることにはリアリティがる」と述べていた。
この議論を聞いて、建築行為のルールの決め方さえもユーザーがコミットするようなーそして、しなければいけないー時代であり、だからこそこれからは建築に深くかかわるようになるであろうユーザー意識を高めることを建築畑の人間は考えなければいけないというー以前から感じているーことを再確認した。
そして、郊外を濃密にするものとしてー建築行為を含めてー祝祭性や盛り上がりのようなものが効果的であるとすると、その継続性について考える必要があると思う。議論の中でー戦災でリセットされながらも根強く残るものとしてー青森のねぶたが例にあげられたが、その理由は「時間」なのではないかと思う。郊外はまだ生まれてから時間が浅いのではないか、ー質疑でのコミケの継続性のようにー小さなアクションであっても継続性を持ち得ればその地域と人を濃密なものにするのではないかと考えた。質疑の時間にその継続性について建築行為や社会制度がいかに寄与できるかを聞いてみたかったがタイムアップ。終わったあと鈴木氏に問うてみると「次があると思わせることが大切」であると意見をいただいた。では次がある建築行為とはなんだろうか。更新?改修?安易にではなく戦略的に改修という方法に向き合うことができるかもしれないと思った。