学内レクチャー

東京大学の松村秀一先生が大学に来られてのレクチャー
レクチャーのタイトルは「7つの予言ー2025年の住宅と産業ー」
冒頭、建築の「仕事」としての可能性、豊かな仕事の場を生むということについて触れる。その後話された予言(課題)は仕事を生む、仕事を考えるきっかけとなるものであるというメッセージであったということを後に感じた。
まず、2005年以前の日本の住宅着工数を例にこれまでの日本の新築志向が異常であり、世界の中で日本の建築投資における再生投資の少なさも指摘する。また、現在の日本において、700〜800万戸の住宅が空き屋であることもこれからの課題であるとした。
ここから、予言が始まる。
1、世界の建築構法はISRUへと向かう。
ISRUは(In-Situ Resource Utilization)の略。直訳は「現地の資源と使う」その根拠として、アフリカ(だったか?)で見た廃校が土に帰っていく様子と、グローバルマーケットに流通している材料価格の不安定さ(例:鳥の巣による鉄の高騰)をあげ、完全輸送型→輸送補完型→現地調達型という宇宙建築の発展のダイナミズムの逆を行くのではないかという予言。
2、出職は公共交通でやってくる。
出職とは大工などいわゆる外に出て仕事をする職人のこと、高学歴社会、高齢化社会において職人不足を直面する問題だとし、職人についての考え方を改めないといけないと提起(60歳以上の人が職人になればいいじゃないかと述べる。)
3、部品はネコやカンガルーが持ってくる。
材と工について。アメリカを発端とする巨大ホームセンターに見られるように材だけの流通が発達し、職人でさえも一般の人が買うようにコーナンで材料を買っている。それがDIYの広がりに発展し、セルフビルドの方法を発信する場も重要になっていると指摘する。
4、小旦那は触覚を発達させる。
旦那とは建築主のことで、新築が希少になり施主の経済力が減少する状況はこれまでのカタログ住宅では満足しない施主(小旦那)を生むとする。そんななかこれまでのようにカタログから部分を選択して住宅を作る(という意味でハウスメーカーもアトリエも同じだと指摘)だけでは要求に答えられないとした上で、自ら工場を持ち、部分から建築全部を手掛けたJ・プルーヴェの魅力を語り、J・プルーヴェがやったことをこれからの状況で出来ないかと問いを立てる。その可能性として、企業・工場同士のコラボレーション、仕事がない中小企業の技術利用を上げる。
5、自給自足の空間認識が領域感覚を形成する。
災害時などにおけるインフラ依存居住の不安定さをあげ、自給自足の生活の充実が人間が集まって住む心理や効率性を向上させるのではないかという問いを立てる。
ダイマキシオンハウスをはじめ、バックミンスター・フラーの自給自足居住の技術を引き合いにインフラフリー技術の必要性を語る。
6、人は伸びやかな空間で目を閉じる。
空き屋、空室が増える中で余剰空間をいかに魅力的に再生するか。人が気持ちよくて目を閉じるような空間の必要性を語る。
7、勉強机だった製品はふかふかのソファになる。
勉強机とは、ユーザーに使い方を規定するような物・空間のことを意味し、そういった空間ではなく、より魅力的なソフトを空間の中に盛り込むことの必要性、そしてそういったものを許容するような空間を作ることの意義と可能性を語る。
最後に、これまではハコをつくるハコの産業であったが、これからは場の産業が重要になるということを示唆する。生活空間コンサルティング、エリアマネジメント、場を運営する環境技術という具体例をあげておられた。

講演を通して大きく感じたメッセージは「建築に求められていることが変わって来ているんだよ。」ということ。その一つの大きなテーマとして再生ということが上げられていることを感じた。再生とは「そこにあるものの価値を見いだすこと」ではないかと思う。では、そのために建築は建築を学んだ者は何ができるのか。僕はその一つとして「建築の価値、空間を魅力的に作ることの価値を伝える」ということが建築界には不足しているのではないかと思う。松村先生の講演の中でもDIYや小旦那など、ユーザーや建築主が建築に関わってくる、関わろうとしてくる機会が増えてくるということは言えると思う。その時に建築行為(既存のものも、これから作るものも含めて)の価値が十分に伝わっていなければならない。それについての考えを質問で投げかけると明治以降の建築は愛されていないという提起がなされた。古い建築はボランティアの人が案内を買って出ていたりするが、明治以降の建築でそれは無いことは問題であるとされた。僕がそこで思い出したのは、村野藤吾の世界平和記念聖堂へ行ったときにボランティアの人に案内してもらった経験である。建築が建てられた経緯の特殊性もあるだろうが、ボランティアの方が建築の魅力やデザインの意味について熱心に語って下さったのを明瞭に覚えているこの建築の竣工は1954年である。時代の問題では無い。それでは何なのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/stmd/20080920/1221915535
この日の講演で、社会要求の嗅ぎ取り方と、最後に上げた疑問の自己の中での膨らみを得た。