1週間


個々最近、全く書いてない自分に反省しながら、手始めに一週間を振り返る。

といっても、就職活動のためにポートフォリオを作り、書類を書く日々である。

メモを振り返ってみると、糸井重里さんの面白い発言を発見。


「「送り手」と「受け手」のあるいろいろなジャンルにおいて、
ただの「受け手」っていなくなってるんじゃないか」
ほぼ日刊イトイ新聞より引用)


お笑いを笑うことによっておもしろいと思うのではなく、
なぜおもしろいかを分析するような人が増えているということを引き合いにだして説明していた。

これを建築にあてはめて考えてみる(強引だが)
建築をつくるもの(送り手)は設計し、できたものを使用者(受け手)に見せる。
建築の場合、一般の人が受け手になれているのか疑問である。
空間という実体があるため、受けてもらっていると思いがちだが、
それが本当に「受け手」になっているのかが疑問である。


少し、強引な文書になってしまった。
建築を送るものが社会に建築を受けてもらうにはどうすればいいのか。
何もせずにシンボルをつくればいいのか。そこを考えたい。
いや、建築はどんなものでも、大なり小なりシンボルなのかもしれない。。