ホヅプロシンポでの思考

「いま、建築に何が可能か」
山崎亮さんの問題提起で始まった。この問題提起がこのシンポジウムの根幹であるし、重く感じているいないは別にして建築界のネックとなっていることではないかと思う。その問題提起とは「人口減少、新築減少の時代に建築家はどういった戦略を立てるのか」ということである。
それに対するゲストの答えをざっと。


・吉永健一
建築とはエピソードのマネジメントであり、見方を変ることで建築やまちの価値を変えられる。町家の断面。お不動産プロジェクト。
・アーキテクトタイタン
ウェブの仕事を拡大させている。建築は統合的学問だから何でもできる。
webの更新性は仕事になる。
・SWITCH建築デザイン事務所
自分たちの個性を押し出すわけではなく、仕事に向き合っていると自然とカラーがでてくる
・SPACESPACE
問題提起に対してはある意味楽観的に考えている。そこまで悲惨な状況にならないのでは。空間の質を高めていくことが重要。建築によってあらゆる社会問題を解決出来ないか。
情報を拾うことで建築をつくりたい。
・dot architect
集団のクリエイティビティ。施主も巻き込むような建築の作り方。
・tapie
企画力、人のネットワーク、情報
イクラスのデザインはまだ需要があるかもしれない。

質疑応答が短時間で終わったため、議論はどちらかというと煮え切らない状態でシンポジウムは終わった。その後の懇親会(参加できなかったが)で多くの議論がなされたようだ。


今の自分の状況に立ち戻って考えてみると。「建築が建たなくなる状況」というものは間近にせまる事だと思う。本当にその実感があるというわけではないのだけれど、考えなくてはならないという意識が頭の中にあるという感じである。
他人の言っていることに対して反応する前に自分の考えを述べると。
「建築の見られ方を変えなければならない」と思う。見られ方と言っているのは自分が建築分野に身を置いているからであるからだが、今(だけではないのかもしれないけれど)建築の捉えられ方、使われ方、所持のされ方を変える必要があるように感じる。ざっくり言ってしまうと、一般の人は建物に何か興味は無い。興味を示しやすいのはレトロだとか、どんなお店があるかとか直接的な興味につながる建築の中身と表層の部分が大半である。と思う。その一方で建築家はコンセプトを立て、あらゆる角度からの視点で土地に向き合い建物を考えてゆく。ではなぜそのような乖離が存在しうるのか。それは建物が社会生活に不可欠なものだからだ。何かを行なう為には屋根がなければいけないから建物を依頼する。建築家は自分の思考錯誤の一部分をクライアントに伝え(利用者には伝わらない)、建物が建つ。からだと思う。しかし、(極端に言うと)もう新しい建物を立てる必要はないですよ、と言われたらどうすればいいのか。建築家が思考する余地は無いのか。今のところ僕が言えるのは、建築家の思考の価値をこれまでクライアントだった人以外にも何らかの形で伝えることによって、その思考を活かすべき道をクライアントと一緒に考える(場合によっては与えてもらう)ことであると思う。(ちょっと抽象的になってしまった)
シンポジウムの議論を振り返りながら考えることは、建築という学問が統合的学問であり、あらゆる分野に応用可能であるという議論はあまりしない方がいいと思う。それは自分がそういった教育を受けていないからだと思うことと、これだけコミュニケーションツールが多角的になっている時代において、統合力を発揮する人間なんて他分野にだってたくさんいると思うからである。建築の統合力をそれ以外の分野に活かすためには、建築力の使用方法を戦略的に考えなければいけない。自分の考えていることも含めて、吉永氏の活動は学ぶことが多かった。仕事になるかというところが課題であるが、宣伝にはなる。
建築力を活かすという点で、空間性の追求を行なっているSPACESPACEの考え方は「腕」が必要であり、自分の出来ることだとは思えないが、建築分野のある種の理想であると思う。建築家が空間を語らなかったら、それは寂しい。
施主を巻き込みながら作るというdotの方法はこれからの可能性ではないか。建築に愛着を持ってもらうことで、建築を取り巻く状況は変えていかなければならない。


社会の状況がどうなっていくのかはわからない。リーマンショックに備えていた人なんて少数で大半は事後対応なのだから。だったら今もう崖っぷちなのだと思ってしまえばいいんじゃないか。だったらその状況に慣れてしまえるかもしれないし、考えることが出来る。
建築が好きな自分が描く理想は結局、空間をあらゆる人が楽しんでいる状況である。