嵐山 千光寺 お月見 説話


京都嵐山へ、知り合いに誘われ「千光寺 秋の観月会」に参加。
日も落ちて真っ暗な中、川沿いを歩き、千光寺という嵐山の隣の山ーの中腹?ーに建つお寺に上り、とても変わった時間を過ごす。
川沿いをあるいていると、雨の音しか聞こえなくてとても不思議な経験。
とても寒い日だったけれど、月を見ながら住職のお話を聞く。住職がその世界に入り、このお寺でどんなことがあったか、住職の生き方に影響を与えた人の話などなどを聞いた。生きるということと、自分の行動にとても真剣だなという印象を受けた。眼光が柔らかで鋭い方で自分の考えることを自分の言葉で話しているという感じがした。
途中でとても面白い方もお話に参加して、なかなか聞くことができないような話を聞く。「まちを何とかすることはそもそも無理」という言葉に重みを感じた。いくらまちのことを考え、何とかしようと思ってもどうしようもない力で降りて来てしまうものがあるということ、それに対してどうこうするということがいかに大変かということを感じる。京都駅についての話にもなり、ーある一端であるとは思うがー建築以外の人が建物に持っているイメージや、建築界での議論が建物を使っている様々な人にあまり関係がなくーといっても伝れば伝わるがーそれをいかに伝えなければならないかということ。
最近感じていることにつなげて考えてしまうけれど、建築やまちを専門にする人間は、あらゆる人々にまちへの倫理観を語る前に、建築やまちについてもっと広く伝えなければならない、アピールしなければならない。自分が住む、使うまちについて考えることは人間にとって当たり前であるし、誰もが関われることである。


とにかく貴重な経験でした。この日の感覚を倉庫にしまって保存しておきたい気分です。