アーキフォーラム 藤森照信

誰もやっていないことをやる、楽しんで。まず第一に感じたことはそれであった。


冒頭。氏が建築家としての活動を始めてから強い影響を受けた3つの建築をあげる。
ポルトガルの石の家」「ジェンネの大モスク」「投入堂」である。
この3つの作品をもとに、建築と自然との関係を語る。キーワードとして、目地、額縁などがでてくる。目地とは建築と自然の境界のことであり、額縁とは「投入堂」がもたらす自然と建築の融合であると私は聞き取った。「ポルトガルの石の家」のように自然とも建築ともわからないようなものか、「投入堂」のように建築と自然が融合したものをつくりたいという意志が伝わってきた。
その後、「自然素材」「屋上庭園」「最小空間としての茶室」といったテーマに沿って作品が紹介された。「記号性を排除するために、茶室に畳と障子は用いない」と述べた氏。自然と融合した建築をまるで記号化するように自然素材による仕上げを用いていると感じていた私はここで少し混乱した。藤森氏の建築を体感して(といってもまだ二つだが)内部空間の心地よさは体に残っている。しかし、外装の仕上げはやはり貼り付けたものではないかと思っている。しかし、氏はそのことに自覚的である。では、それは自然建築の記号化のための手段ではないということか。ここまで考えて、「記号」と「自然と融合する建築」について頭が整理できないので、すぐに答えは出そうに無い。。
質疑の中で、歴史家として建築を見る際に心がけたことについて聞かれたことに対して氏は「設計者本人が気付かないことに気付くように見る。相撲をとるように。そして何かを見れば必ず言葉にするようにしてきた」と述べた。
氏の仕事について、クライアントが特殊だからできるんだ。と言ってしまうのは簡単である。しかし
、現代においてあまり見ることのできない氏が作品にこめようとしていること(それは単なる懐古主義ではなく人間の本質的であろうとすることであると思う)を感じることは希少なことなのではないかと思う。氏自身が様々な人を巻き込みながら楽しんで建築と向き合っている(少なくともそう見える)ことも誰しもが真似できることではない。たくさんの過去を歴史を見てきた氏は何らかの未来を描いているのではないだろうか。