「中央郵便局を重要文化財にする集い」

4人のパネリストの方々がそれぞれ、大阪中央郵便局の価値、その捉え方について述べた後について、今後どうすれば大阪中央郵便局を残すことができるか議論された。
藤岡洋保 先生(東京工業大学教授)「大阪中央郵便局の建築的価値」
大阪と東京、両中央郵便局が窓口室、現業室、厚生室らの複合施設であること、全ての立面が見られる建築であることや、二つの設計条件の違いを意識して両局を比較することの重要性を主張。外壁の仕上げの完成度、水平性が意識されたスチールサッシ、立面の柱間を内部空間にも延長し機能と合致させたことなどをあげて、大阪中央郵便局の破綻のない完成度の高いデザインの価値について述べた後、変形五角形の敷地に対して各立面に対称性を持たせ、帝都の玄関において記念性を表そうとした東京中央郵便局の価値を述べた。両者の違いの上に立ち、単純な構成を多様なものへの応用する可能性を見いだす意義を主張した。近代(主義)建築を理性重視の建築であるとし、その点での完成度の高さを述べた。
近代建築史を専門とする先生であるからこそ、シャープに専門的な価値を論じられ、比較するからこそ見えてくる視点がはっきりとしていた。複合施設としての意識が自分の中に薄かったことを再確認。
松隈洋 先生(京都工芸繊維大学教授)「吉田鉄朗のモダニズムー北欧と戦時下の思考」
富山テレビが製作した特番を見て吉田鉄朗の生き方、建築への向き合い方に感動したことをきっかけに吉田鉄朗のことを調べ始めたという氏は、吉田鉄朗が北欧から受けた影響、そして戦時下においてかれの建築哲学がどのようなカタチをみせたかということから現代的価値を主張した。
「大東亜建設記念営造計画」のコンペの審査員であったとは知らなかった。しかし、吉田は丹下健三が当選した表彰式には出席しなかったのだという。「日本建築の心を心として、・・・質朴純潔な、・・過去の形式に捉われた反動的なもの、独善的なものは価値がないと思います」という彼の言動にあるように、当時の建築界の大きな流れに必ずしも乗っていたわけではなかったようだ。建築雑誌の装丁のデザインもしていたなんて知らなかった。。
日本人の有り方を見つめた吉田の本質的な価値を主張した氏は、現代において、大阪において吉田のような思想が示唆的であると主張しているように思えた。
信念ということに関して共感するかどうかを考えると、自分が固まってしまう気がして、今は柔軟でありたいとおもう私は吉田の思想をそういう考え方もあるなと思うことにする。
南一誠 先生(芝浦工業大学教授)「タイトル忘れました」
南先生の講演は何度か聞いたことがあり、大阪中央郵便局の公共空間としての価値、ユニバーサルスペースの転用可能性を述べ、容積を西側に移転することで残せることを主張。
かつて郵政で働いていた氏は、内情を語る。大阪・東京の両中央郵便局に対してスチールサッシの補修など、年に300回ずつの修繕工事を発注していたのだという。活用意識の高さが伺える。なのになぜ。。大阪の場合(東京もだが)建て替えても経済的な効果はあまりないことも内部にいたことをふまえて主張。オフィスの空室率だって高くなってきている。
橋爪伸也 先生(大阪府立大学教授)「大阪駅前と都市美」
前の3名の発表もふまえ、普遍的な価値よりも大阪中央郵便局の固有の価値を語るべきえあるとする。駅前の場所性や文化的景観といった観点に立つことの重要性を主張。昭和初期において、大阪駅、阪急百貨店、阪神百貨店大阪中央郵便局が4つ巴で駅前景観を作ろうとしたこと、昭和8年の「シビックセンター」のコンペを引き合いに文化的景観として考えられて来た大阪駅前の要素としてあの建物を捉えることを主張。城下町や古いものに限定されがちな文化的景観の有り方に対しても、時代ごとのものが重なりあうことに価値があると主張した上で、現在の大阪駅前には否定的な態度を示していた。
橋爪氏が訴えようとしたことは、市民の思いのようなものが現われて来てこその価値がある建築であるというであったと思う。
最後の議論では、文化的景観のとらえ方、市民がいかに動きを起こしていくか、粘り強く、熱くなるか、というところに議論が及んだ。
個人的に、大阪中央郵便局の価値という点で、市民の目と、建築畑の目を持っている私は聞いていてフラストレーション無く聞けた。しかし、建築を専門とする人でない方たちが価値を理解、主張するためにはそこに思い入れが無ければだけだと思う。市民が持つ思いを何とか持ち上げて、保存への流れをすることが今後目標となるような気がした。このような問題に対しては保存後の対策を提案することよりも、活かそうという動きを起こすことが最優先されるのかもしれないとも思った。