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小嶋一浩さんのレクチャー。タイトルは確かあっていたはず。時間を間違える。


私が聞いたのは最後の3つの作品(大学キャンパスと宇土小学校と美術館のコンペ)だけ。
学生や先生方が8ヶ月もの間生活するキャンパスにおいて、「自分の居場所」や「複雑さ」といった街のようなスケールの場所をつくることの必要性を述べていた。そして驚いたのがとてつもない大きさの建築(むしろ街)を1/50、部分的には」1/20の模型を作ってスタディしているという。室レベルでの原寸モックアップさえも作っていた。クライアントがハーバードの建築を出たという経緯をもっており、そこまで求められるのだという。しかし、それだけの手間とコストは日本ではまずありえない。
宇土小学校においても原寸のモックアップでワークショップを行い、CFDを用い気流の計算もシュミレーションしているのだそう。完成品が使用品になってしまう建築においてイメージと現物を近づける試みであるといえる。シュミレーションはその時にとどまらず、その経験が次の直感につながると言う。
質疑からlocallityとglobalismの話になる。サイトにおける建築のあるべき姿を突き詰めるとそれはグローバルに通用するものになると言う。小嶋さんの初期の段階において田舎にアパートを設計していた時からそのスタンスは続いているという、そして、今は世界各地でとんどもないスケールの建築を扱い、そのクオリティを保とうとしている。localな場所はそれがどんな場所であっても世界と対峙する場所なのであると言う。だからこそ時間と手間をかけられる状況を日本に無いチャンスとして建築のクオリティとして還元しようとしている。
最後に、メディアがこれだけ多様化する中で建築はそれを追いかけてきたと述べた。これは資本主義の理論で建築や都市が作られていく(小嶋さんは都市計画において道路渋滞を避けることを優先する理論や用途地域主義を引用)状況で建築が無味乾燥なものを創ってきたことと繋がると私は考えた。(状況に追随するという意味で)建築がいかに創造性を保つことができるか、メッセージを発していくことができるのか。それは一つ一つの状況の追求にあるのかもしれない。